というわけで10冊のマイフェイバリット書籍をご紹介したところで、
力尽きたので更新休止いたします。
残り90冊は以下の予定でした。
赤川次郎「魔女たちのたそがれ」「三毛猫ホームズの推理」
我孫子武丸「探偵映画」「メビウスの殺人」「人形はこたつで推理する」「殺戮にいたる病」
綾辻行人「時計館の殺人」「どんどん橋、落ちた」
鮎川哲也「りら荘事件」「下り“はつかり”」(達也が嗤う!)
有栖川有栖「双頭の悪魔」
泡坂妻夫「亜愛一郎の狼狽」
歌野晶午「密室殺人ゲーム王手飛車取り」
江戸川乱歩「孤島の鬼」「人間椅子」(特に「ひとでなしの恋」!)
岡嶋二人「クラインの壺」
小川勝己「眩暈を愛して夢を見よ」
乙一「GOTH」
霞流一「首断ち六地蔵」
北山猛邦「『アリス・ミラー城』殺人事件」
倉知淳「星降り山荘の殺人」
黒田研二「今日を忘れた明日の僕へ」
黒崎緑「しゃべくり探偵」
小泉喜美子「弁護側の証人」
小林泰三「AΩ[アルファ・オメガ]」
斎藤肇「たった一つの」
島田荘司「占星術殺人事件」「斜め屋敷の犯罪」「異邦の騎士」「眩暈」
殊能将之「ハサミ男」「鏡の中は日曜日」
清涼院流水「ジョーカー」
高木彬光「人形はなぜ殺される」
竹本健治「匣の中の失楽」
中西智明「消失!」
二階堂黎人「悪霊の館」
西澤保彦「解体諸因」「殺意の集う夜」
西村京太郎「殺しの双曲線」
貫井徳郎「慟哭」
野﨑まど「[映]アムリタ」
法月綸太郎「一の殺人」「頼子のために」
初野晴「1/2の騎士」
東野圭吾「名探偵の掟」「容疑者Xの献身」
東川篤哉「交換殺人に向かない夜」
氷川透「人魚とミノタウロス」「最後から二番目の真実」
古野まほろ「天帝のはしたなき果実」
麻耶雄嵩「螢」「貴族探偵」「夏と冬の奏鳴曲」
汀こるもの「リッターあたりの致死率は」
三津田信三「ホラー作家の棲む家」「厭魅の如き憑くもの」「首無の如き祟るもの」
道尾秀介「向日葵の咲かない夏」
森博嗣「スカイ・クロラ」「そして二人だけになった」
柳広司「ジョーカーゲーム」「ダブルジョーカー」
山口雅也「生ける屍の死」「キッド・ピストルズの妄想」「13人目の探偵士」
山田風太郎「甲賀忍法帖」「明治断頭台」
横溝正史「獄門島」「八つ墓村」「犬神家の一族」
米澤穂信「インシテミル」
米田淳一「リサイクルビン」
詠坂雄二「電氣人間の虞」
連城三紀彦「戻り川心中」
若竹七海「心のなかの冷たい何か」
アガサ・クリスティ「そして誰もいなくなった」「オリエント急行殺人事件」
アントニー・バークリー「毒入りチョコレート事件」
エラリィ・クイーン「Yの悲劇」「シャム双生児の秘密」「九尾の猫」
キャロル・オコンネル「クリスマスに少女は還る」
コナン・ドイル「バスカヴィル家の犬」「シャーロック・ホームズの冒険」
ジェフリー ディーヴァー「魔術師」
ジャック・フットレル「思考機械」(十三号独房の問題!)
ディクスン・カー「帽子収集狂事件」
ピエール.シニアック「ウサギ料理は殺しの味」
ブリジット・オベール「マーチ博士の四人の息子」
約2000冊くらい?の小説を読んできた中からのごく一部です。
ざっと90冊、あたまに浮かんだ小説を列挙しただけですが、あくまで作家名のあいうえお順です。
東野圭吾とかもっと好きな作品があった気がしますし、
「この作家はすでに4冊あげてるから……」と思考を中断したものもありそう。
クイーンや横溝の好きな作品とか気分次第で変わりそうだし……。
また何か機会があれば語りますね。ばいちゃ。
山陰の推理小説(ミステリ)好きブログ
2012年6月7日木曜日
2012年5月27日日曜日
京極夏彦「姑獲鳥の夏」
世間的には「魍魎の匣」のほうが評価が高いようですが、
僕は圧倒的に「姑獲鳥の夏」が好きです。
どこかの推薦文じゃないけど、
この小説を読んだあの夏のことを僕は忘れないでしょう。
あと京極夏彦の百鬼夜行(京極堂)シリーズは、
講談社ノベルスで読め!といいたい。
梅雨も明けようという夏のある日、関口巽は、古くからの友人である中禅寺秋彦の家を訪ねるべく眩暈坂を登っていた。関口は最近耳にした久遠寺家にまつわる奇怪な噂について、京極堂ならば或いは真相を解き明かすことができるのではないかと考えていた。関口は「二十箇月もの間子供を身籠っていることができると思うか」と切り出す。京極堂は驚く様子もなく、「この世には不思議なことなど何もないのだよ」と返す。
久遠寺梗子の夫で、関口らの知り合いである牧朗の失踪、連続して発生した嬰児死亡、代々伝わる「憑物筋の呪い」など、久遠寺家にまつわる数々の事件について、人の記憶を視ることができる超能力探偵・榎木津礼二郎や京極堂の妹である編集記者・中禅寺敦子、東京警視庁の刑事・木場修太郎らを巻き込みながら、事態は展開していく。さらにこの事件は、関口自身の過去とも深く関係していた。
牧朗の行方、妊婦の謎、久遠寺家の闇・・・全ての「憑き物」を落とすため、「拝み屋」京極堂が発つ。
分厚くて、小難しい文字が書かれていて、専門的な薀蓄でみっしりしている本を何冊も読んでいたあの夏の日の僕はどうかしていたのでしょうか。
今思えば、物語をシンプルにまとめると、密室殺人に旧家の呪いといった王道の本格ミステリで、陰陽師と超能力探偵と刑事と作家が謎に挑むというラノベ一歩手前みたいなところがあるので、意外と楽しみやすかったのかも。
ちなみにぼくは関口=のび太、京極堂=ドラえもん、木場=ジャイアン、榎木津=スネ夫という脳内イメージで読んでいたせいか、藤子・F・不二雄の画風で再生されていました。
しかし文庫版の表紙はひどいな。「鳥の夏」(上巻)www
2012年5月26日土曜日
法月綸太郎「法月綸太郎の冒険」
ここでようやく山陰出身の小説家の登場です。
法月綸太郎はぼくの勤める会社のある松江市の出身。
前述の我孫子武丸や綾辻行人と同じ
京大ミステリ研究会で同じ時期をすごした仲間。
他の二人のようにアニメ化されるような作品はなく、
(映像化もされていない気がする)
ゲームのシナリオで有名になったりということもないけれど、
パズルとしての出来の良さは彼ら以上です。
とくに短編のほうが鋭い「驚き」があるように思います。
名探偵・法月綸太郎に挑戦するかのように起こる数々の難事件。なぜ死刑執行当日に死刑囚は殺されたのか、図書館の蔵書の冒頭を切り裂く犯人、男が恋人の肉を食べた理由など異様な謎に立ち向かい綸太郎の推理が冴えわたる。「ルーツ・オブ・法月綸太郎」ともいえるミステリの醍醐味あふれる第一短編集。
「死刑囚パズル」の死刑執行当日に死刑囚を殺さなければならなかった理由。
「カニバリズム小論」の犯人が恋人を食べようと思った理由。
など一言で言い表せるほどシンプルであるがゆえに、破壊力が絶大。
『NOVA 2』というアンソロジーに書かれたSF短編も実に、いいです。
2012年5月25日金曜日
森博嗣「すべてがFになる」
森博嗣の作品で言うと「すべてがFになる」と「スカイ・クロラ」が大好きです。
どちらもなんといっても装丁がいいですね。
あと題名がすき。「すべてがFになる」の「THE PERFECT INSIDER」という英題とか、 The Sky Crawlersを「スカイ・クロラ」という題名にしちゃうセンスとか。
そう、ぼくは森博嗣のセンスが大好きなんですよね。
というわけで、「すべてがFになる」。
犀川研究室の旅行で、愛知県にある妃真加島(ひまかじま・架空)に向かった犀川創平と研究室の面々。犀川の恩師の娘である西之園萌絵も研究室の正式なメンバーではないが参加していた。妃真加島にはその所有者である真賀田家が設立した真賀田研究所があり、実は萌絵は研究所と多少の関わりがあったのだ。
真賀田研究所には優秀な研究者が集い、(世間の常識からは少し外れているが)彼らなりの論理・生活形態とそれを許容する環境の下で精力的に研究を進めている。その頂点に君臨するのが、真賀田四季博士。彼女は現存する最高の天才で、名実ともに研究所の活動の中心人物であった。そしてまた彼女は過去犯した殺人によっても有名人物であり、研究所の一画に隔離されている存在でもあった。
萌絵の提案で研究所を訪れた犀川と萌絵の前に、不可思議な死体が姿を現す。更に続いて起こる殺人事件。2人は研究所で起きた事件の謎にとらわれていく。
孤島での密室殺人(しかもバラバラ死体!)というぞくぞくしちゃう本格ミステリです。
突っ込みどころはないわけではありませんが、トリックは派手で印象的ですし、
この作品をはじめて読んだ時に「おおっ、なんてすごい作家が現れたんだ」と思いました。
唯一の欠点は……残念ながら、この作品がシリーズで圧倒的に面白すぎた、ということ。
なんだか「三毛猫ホームズの推理」のおもしろさと、その後の三毛猫ホームズシリーズの2作目以降の惰性感に似て非なるというか、キャラクタと軽いパズルでもたせましたよ感が残念でした。
かろうじて最初のシリーズ10作と短編集は読破しましたが、その次のVシリーズは1作目でリタイア。
久々に読んだ「スカイ・クロラ」もかなりよかったんですけどね。
これは先に映画版をみた。
現物がまた高級感と清涼感があって、
シリーズを本棚に飾っておくだけでなんかおしゃれです。
2012年5月24日木曜日
我孫子武丸「8の殺人」
これまで自分の好きな書籍を列挙してきました。
(そうだったの?! 実はそうなんです。必ずしも順位通りでもないけど・・・)
では、一番好きな作家はだれか?
というと、それはもう、我孫子武丸です。
そう、「かまいたちの夜」の人ですね。
ぼくは中学時代に「かまいたちの夜」から正式にミステリファンとして覚醒したので、
この方の著作物を片っ端から読んでいた時期がありました。
当時は一冊読んで「はい、次」じゃなくて、
「メビウスの殺人を読んだ」→「再読して張り巡らされた伏線に感動!」→「0の殺人を・・・」→「再読を・・・」→「8の殺人を・・・」→「やべ、シリーズを逆行していたよ! 速水三兄弟シリーズをもう一度8→0→メビウスの順に読もう!」→「次は探偵映画だ」
と同じ本を何度も読み返しました。
ミステリのガイドブック関係があることを知らず、Webの環境もなかった時代、ぼくは信頼できる作家を拠点に読んでいくしかなかった。我孫子武丸→綾辻行人→法月綸太郎と読み進め、並行して赤川次郎やなんかも読むようになり、現在に至るわけで。
でも、大学時代に横溝一気読みしたり、乱歩にはまったり、ひたすらクイーンばかり読んでいたり、「作家読み」の傾向はどこか残っていますね。
で、そんな我孫子さんの第一長編「8の殺人」です。
建物の内部にある中庭が渡り廊下で結ばれた、通称“8の字屋敷”で起きたボウガンによる連続殺人。最初の犠牲者は鍵を掛け人が寝ていた部屋から撃たれ、二人目は密室のドアの内側に磔に。速水警部補が推理マニアの弟、妹とともにその難解な謎に挑戦する、デビュー作にして傑作の誉れ高い長編ミステリー。
上にも書いた通り、速水3兄弟シリーズは思い入れがあり、
「8の殺人」は10回は再読をしたはずです。
作中の「密室談義」の章で、殺人事件の関係者一同が集まる場であるにも関わらず、楽しそうに古今東西の密室トリックをするさまが楽しかったり、のちに赤川次郎にはまり中に再読をした際に三毛猫ホームズを推している箇所に改めて驚いたり、まさに「読むたびに発見がある」感じでした。
この、ミステリ小説なのに堅苦しくなく、明るく楽しく読める雰囲気が大好きであり、読書への抵抗感を薄れさせたのでしょうね。それだけにここから他の作家への移行がまた勇気を必要としたわけで。
どうも、思い入れのありすぎる作品だとまとまりがないですね。
「メビウスの殺人」も思い入れが半端ないので、またそのうちに……。
2012年5月23日水曜日
江戸川乱歩のかきたかったもの
何を隠そう、ぼくは十年前(中学生のとき)に江戸川乱歩の全集を読破したことがあります(赤川次郎を100冊読んだことの次くらいに自慢です)。大学が文学部なら絶対に乱歩をテーマにしました。
江 戸川乱歩っていうのは、長編の本格ミステリを書きたくても書けなかった人だと思います。なぜなら彼はポウやドイルといった本格ミステリの起源に対応する 「日本のポウ」だから。ドイルがクリスティになれないように、乱歩はクイーンやカーやクリスティにはなれなかった。なれるのは後進の横溝正史らだった。そ ういうことじゃないかと思っています。
『本来、あれだけ「本格」にこだわったはずの乱歩が、「本格探偵小説」、特に長編の分野で本格を全く書けなかったのは皮肉といってよ い。もちろん、長編を書く舞台がなかったという不運はあるものの、後の乱歩の作品を見ると、彼自身に長編本格を書く才能はなかったといってもよかろう。』(「謎宮会」浅井 透明 氏の考察より http://tokyo.cool.ne.jp/meikyu/art00/asi0010c.html)
乱歩が喜びそうなものってなんでしょう?
乱歩が書きたかったものはなんでしょう?
世間で乱歩のイメージってなんでしょう?
【俺の中の偏見】
・乱歩らしさ→奇妙さや怪異
・乱歩が書きたがっていそう→論理重視の犯人当て
・乱歩のイメージ→名探偵や怪人の出てくる本格ミステリ
まあ、現代で「江戸川」といえば「コナン」なんでしょうけどね。
江 戸川乱歩っていうのは、長編の本格ミステリを書きたくても書けなかった人だと思います。なぜなら彼はポウやドイルといった本格ミステリの起源に対応する 「日本のポウ」だから。ドイルがクリスティになれないように、乱歩はクイーンやカーやクリスティにはなれなかった。なれるのは後進の横溝正史らだった。そ ういうことじゃないかと思っています。
『本来、あれだけ「本格」にこだわったはずの乱歩が、「本格探偵小説」、特に長編の分野で本格を全く書けなかったのは皮肉といってよ い。もちろん、長編を書く舞台がなかったという不運はあるものの、後の乱歩の作品を見ると、彼自身に長編本格を書く才能はなかったといってもよかろう。』(「謎宮会」浅井 透明 氏の考察より http://tokyo.cool.ne.jp/meikyu/art00/asi0010c.html)
乱歩が喜びそうなものってなんでしょう?
乱歩が書きたかったものはなんでしょう?
世間で乱歩のイメージってなんでしょう?
【俺の中の偏見】
・乱歩らしさ→奇妙さや怪異
・乱歩が書きたがっていそう→論理重視の犯人当て
・乱歩のイメージ→名探偵や怪人の出てくる本格ミステリ
まあ、現代で「江戸川」といえば「コナン」なんでしょうけどね。
2012年5月22日火曜日
「見立て殺人」と「ミッシングリンク」
「見立て」とは童謡などを用いて事件を装飾する事を指す。つまり事件を童謡などに見立てる殺人事件を「見立て殺人」と呼ぶのである。
例えば、横溝正史でいうと「○門島」の○○になぞられて殺された事件をいう。この「見立て殺人もの」の中でもっともメジャーな作品はというと、それはアガ サ・クリスティの「そして誰もいなくなった」のマザー・グースになぞらえた連続殺人ではないだろうか。小説以外でいうと映画の「セブン」がズバリ見立て殺 人を扱っている。
もちろんこんな面倒なことをやるからには相当の理由が必要である(普通はそんなことをする意味がないからだ)。そんなところか ら「どうして見立て殺人にする必要があるのか?」がけっこう事件の謎を解く鍵になったりする。というか、その辺がいい加減だと「読後に壁に叩きつけたくな る本」の出来あがりだ。見立てる事によって、一連の殺人事件に共通点が生まれる。その犯人の目論見(じゃないこともあるが)をこれまでにぼくが読んだ中で 記憶しているものからいくつか挙げてみると……
1.「犯行時に残してしまった証拠から目をそらさせるため」
2.「無関係の事件を、強引に自分の手によると思わせるため」
3.「犯行の順番を錯覚させるため」
4.「残された標的に恐怖をあたえるため」
5.「犯人の人数をごまかすため」
「ミッシング・リンク」とは「見えない繋がり」のこと。ミステリでは主に「無差別殺人の共通項」を指す。
例えば、ある町で連続殺人事件が起こる。被害者同士には、一見、なんの共通点もない。サイコパスな通り魔による無差別殺人かと住民はパニックに陥る。しか しやがて、ただの通り魔ではなさそうだとわかってくる。では、被害者を結ぶ「ミッシング・リンク」は何なのか?……というミステリをミッシング・リンク・ テーマの作品と呼ぶ。
このテーマを扱った作品でまず挙がるのがエラリイ・クイーンの「九尾の猫」だろう。おそらくあと一世紀はミッシング・リン クものの代表作でありつづけると思う。我孫子武丸の「メビウスの殺人」もかなりの傑作なのでおすすめです。ちなみに実在の事件である「切り裂きジャック」 もミッシング・リンクしているといえるだろう。
この「見立て殺人」「ミッシング・リンク」は、「密室」「アリバイ」の多くのように細細 としたトリックの解説を必要とせず意外性を演出できるため、個人的には割りと好きだ。また、密室トリックや叙述トリックほど開拓されていない気がするの で、意外と傑作ミステリの金脈ではないだろうかと思われる。
どちらも犯人の心理「何故それをやるのか?」を推理するテーマであるため、サイコサ スペンスに向いているが、比較的「見立て殺人」のほうがおどろおどろしい古典探偵小説めいた稚気があり、本格ミステリ向きである気がする。一方「ミッシン グ・リンク」は現代的な警察小説向きではないだろうか。
……いや、某所でこの二つをいっしょくたにしている人がいたから書いてみただけれす。
犯人が装飾・演出するものを「見立て殺人」、標的とするものを「ミッシング・リンク」なのではないかなと。
例えば、横溝正史でいうと「○門島」の○○になぞられて殺された事件をいう。この「見立て殺人もの」の中でもっともメジャーな作品はというと、それはアガ サ・クリスティの「そして誰もいなくなった」のマザー・グースになぞらえた連続殺人ではないだろうか。小説以外でいうと映画の「セブン」がズバリ見立て殺 人を扱っている。
もちろんこんな面倒なことをやるからには相当の理由が必要である(普通はそんなことをする意味がないからだ)。そんなところか ら「どうして見立て殺人にする必要があるのか?」がけっこう事件の謎を解く鍵になったりする。というか、その辺がいい加減だと「読後に壁に叩きつけたくな る本」の出来あがりだ。見立てる事によって、一連の殺人事件に共通点が生まれる。その犯人の目論見(じゃないこともあるが)をこれまでにぼくが読んだ中で 記憶しているものからいくつか挙げてみると……
1.「犯行時に残してしまった証拠から目をそらさせるため」
2.「無関係の事件を、強引に自分の手によると思わせるため」
3.「犯行の順番を錯覚させるため」
4.「残された標的に恐怖をあたえるため」
5.「犯人の人数をごまかすため」
「ミッシング・リンク」とは「見えない繋がり」のこと。ミステリでは主に「無差別殺人の共通項」を指す。
例えば、ある町で連続殺人事件が起こる。被害者同士には、一見、なんの共通点もない。サイコパスな通り魔による無差別殺人かと住民はパニックに陥る。しか しやがて、ただの通り魔ではなさそうだとわかってくる。では、被害者を結ぶ「ミッシング・リンク」は何なのか?……というミステリをミッシング・リンク・ テーマの作品と呼ぶ。
このテーマを扱った作品でまず挙がるのがエラリイ・クイーンの「九尾の猫」だろう。おそらくあと一世紀はミッシング・リン クものの代表作でありつづけると思う。我孫子武丸の「メビウスの殺人」もかなりの傑作なのでおすすめです。ちなみに実在の事件である「切り裂きジャック」 もミッシング・リンクしているといえるだろう。
この「見立て殺人」「ミッシング・リンク」は、「密室」「アリバイ」の多くのように細細 としたトリックの解説を必要とせず意外性を演出できるため、個人的には割りと好きだ。また、密室トリックや叙述トリックほど開拓されていない気がするの で、意外と傑作ミステリの金脈ではないだろうかと思われる。
どちらも犯人の心理「何故それをやるのか?」を推理するテーマであるため、サイコサ スペンスに向いているが、比較的「見立て殺人」のほうがおどろおどろしい古典探偵小説めいた稚気があり、本格ミステリ向きである気がする。一方「ミッシン グ・リンク」は現代的な警察小説向きではないだろうか。
……いや、某所でこの二つをいっしょくたにしている人がいたから書いてみただけれす。
犯人が装飾・演出するものを「見立て殺人」、標的とするものを「ミッシング・リンク」なのではないかなと。
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